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最果ての地、岩手 Iwate, the Last Frontier

2023年1月3日 配信

僕自身ここ数年その活動に関わりながら、未だにITLF(岩手・ザ・ラスト・フロンティア)の名前には軽いめまいを覚えている。長い間その理由を掴めずにいた。
ITLFの活動の一環で、先日は岩手県遠野市において、板沢鹿踊り保存会の踊りを体験し、かつその踊り手の皆さまと交流させていただく、貴重な機会のコーディネートの一端を担った。旅は盛岡から遠野へ向かい五百羅漢を訪ねるところから始まり、柳田國男を始めとするかの地と縁のある文豪の感性を、クリエイティブな参加者の面々が思い思いに逸脱しながらもどこかトレースしているような、不思議な旅になった。
ご存じの通り、柳田の遠野物語は彼の純創作ではなく、佐々木喜善のカタリを基に書き起こした説話である。そして佐々木の語る言葉も彼自身が体験したことではなく、どこかの誰かの話や言い伝えであるという。多くの短編はモノノケや人の怪奇な生死を扱っていて、およそ現代人の感覚では「事実」とするには違和感の伴うものだが、我々の感覚では不可思議なことでも柳田は「現在の(遠野における)事実」と謳っている。これが興味深いのは、第三者的な「事実」よりも、本作が出版された当時の空気を色濃く反映しているであろうその内容が、たとえ伝聞であろうと極めて真実味に溢れる世界観を提示していることだと思う。

余談だが、先月体調を崩し、食べ物が全く喉を通らずに数日のうちに体重を数キロ落とすほど極度の栄養失調に陥った。このとき同時に重度の鬱か⁈と思うほど気分が沈み、良からぬことばかり想像してしまう状態が続いたのだが、さすがにまずいと思い、点滴を打ち栄養ゼリーの類いを摂取したところ、驚くほどに気分も改善した。察するに脳の栄養素が不足しホルモンバランスも崩れることで情緒が不安定になり、やたらと妄想に囚われたのだと思う。この経験から思い至ったのは、遠野物語に記されたカタリが成立した時代、生きることも食うことも今よりはるかに困難だった時代に、この地の人々に働いた想像力はいったいどのようなものだったか、ということ。

鹿踊りもまさににそうした想像力から生まれた。

神々への畏怖、感謝、五穀豊穣、邪気祓い、そうした願いが込められた踊りは、儀礼的な所作よりも、踊りによって眩いばかりの生命力を降ろすことで、演者にも観者にも純粋なゾーンのような力を授けるもので、まさに圧巻だった。

話を戻す。ITLF(岩手・ザ・ラスト・フロンティア)の名前に感じるめまい。それはフロンティアという言葉をどう理解すべきか掴めない戸惑いだった。ただその言葉には、蝦夷譚をはじめ史実には記されずとも連綿と続いてきたこの土地での暮らし、神々の住まう山とその際(キワ)にある里の人びとの生きざま、そうしたものを引き受けて今この時に現地で暮らす人びとの向かう先、これらに想いを馳せるゲートウェイのような意味があると仮置すると、遠野物語や鹿踊りから感じ取れる人の想像力の豊かさと同じように、僕にとっては腑に落ちるものがある。

確かにテクノロジーによって神々は殺され、今では神の住まう場所も狭く少なくなった。だが、かの地にはその土地習俗に垣間見える神の領域から、その場を体験した者のみに開かれる想像力や創造性があり、それは現代に蔓延する個人の存在に関する戸惑いを一蹴せしめるほどの可能性を持っているように感じられる。確かに自然は厳しい。かの地で生きることとは、その厳しさに身を委ねることであり、それこそ大地震も大津波も飢饉も豪雪も乗り越え生き抜くことなのだ。その厳しさに曝されながらも対峙し、一体となるような体験を経て成立してきたこの地の文化の現在地は、同じ景色でも太陽の光量や大気の湿度によって見え方が変わるように、訪問者である僕たちの現在地にも新たな視座を与え視点をピボットさせてくれる。

岩手は未だに何か開拓のフロンティア=最前線なのである。その開拓の対象となること、それは望む未来を描くフロンティアであり続けること、都市での退廃的な生活とは無縁の、生きることへのフロンティアの意味なのだと今では思える。仮に今後日本が南海トラフや首都圏直下型の大地震に襲われ太平洋側都市部・工業地帯が壊滅的な打撃を受けようが、デジタルネイチャー化が進んでひとが更にVRAR的世界に絡め取られようが、この地にはその自然によって、どこまでも身体性の問われる、ザラつきと潤いの競合する暮らしが残る。Uber Eatsは届かなくとも山の恵みはもたらされる。そこは技術進歩とはベクトルの異なる人間の進歩の最前線として、個人の内的成長を押し広げ、崩壊しつつある地域共同体の新たなデザインを進め、人を含めた自然のありのままを感じられる場所であり続けるだろう。

帰路、遠野のこども本の森にてチェックアウトしたときに紡がれた参加者の感想は実に新鮮で、ユニークで美しい解釈、好奇心と発想のエネルギーに満ち満ちた言葉の数々だった。盛岡駅でバスを降り、共に体験した仲間の晴れやかな面持ちを感じつつ別れを告げた際は、この旅を共にできたことに深い感謝の念を感じずにはいられなかった。また何かでご一緒できることを願いつつ、今もどこかで各々のクリエイティブの最前線を行く仲間へささやかなエールを贈り、この旅のレポートの結びとしたい。

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